同じ質問が多い時の

メールの返事はここに書きます ☆(^^)☆

あと、私的な事も☆

5月12

☆こんばんわ☆

暗い話になるので

ここに書くかは迷いましたが

いつか、自分で今を振り返る時の

想い出にしたいので

勝手ながら私的なことを

書いてしまいます。

今日は父の四十九日です。

僕の誕生日の前日

3月25日に他界しました。

こんなことを

ここに書くことになるとは。。。

健康管理には

凄い気をつけてる人で

17年前に大病で大手術をし

奇跡的に助かってからは

17年間毎月、病院の老人内科へ

健康診断に行ってました。

7年前に胆嚢に石があると

検査でわかったらしいけど

医師からは、まだ取らなくてもいいって

7年間言われてたみたいで

胆嚢を早く取っておけば

まだ、生きていた。

1月ぐらいからお腹と背中が

痛いからとそこの病院に行って

入院させて検査を細かく

してほしいって言っても

入院するほどのものじゃなく

筋肉痛だとか便秘だとか

言われシップやら下剤やらしか

くれなかったらしく

2月に、あまりの痛さに救急車を呼んだ時に

救急隊員の人が病院に問い合わせたところ

その人は筋肉痛なだけだから

病院に連れてくるほどのものではない

って言われたらしく

降ろされたみたい。

自分はその時はいなかったので

母から聞いた話だと

大げさな感じで救急車を呼ばないで

ほしいって隊員の人に言われたらしい

それから、2週間ぐらい経って

さらに痛く食事もできないぐらいに

なったので僕が車で病院に連れていきました

その時に白血球が少し高いので

入院して調べましょうってことになり

そのまま入院。

その日から黄疸も出ていて

点滴をやり始めても容態は悪くなるばかりで

白血球の数値も凄い高く

4日目に医師がこれ以上延ばすと

本人の体力が持たないから

手術して胆嚢を摘出しましょうって

ことになり手術を受けました

長時間の手術でしたが

なんとか無事に終わり

医師の説明があって

凄いたくさん石が入ってましたと

ビンに入れた石と胆嚢を見せてくれました

その時に、医師からなんでこんなに

酷くなるまでほっておいたのかって

言われたので

何か月も前から老人内科の医師には

調べてほしいって頼んでたことや

経緯を話したら

その医師は

同じ病院でも 私は外科なので。。。

って言葉が詰まってしまってた。

でも、その時に医師は

私の経験では摘出した胆嚢は

見る限り、癌ではないですが

念のため詳しい検査に回しておきます

って言ってたので

癌ではないならってホッとしてました

術後も、ほとんど毎日 仕事が

終わって看病に行ってましたが

黄疸は取れないし良くなっていく

感じはなかった。

2週間ぐらいたって

母から連絡があり 今日から食事がでる

話を聞いた時に

食事がでるってことは

退院も近いのかなって思い

凄い安心しました。

大地震のときも

数時間かけて歩いて看病にいったり

してたから安心感で疲れがどっと

でたけど 良かったって思ってました

次の日に、母から医師が話があるから

時間のとれる時に病院に来てほしい

って言われ2日後に行きました。

自分としては食事も出るように

なったから退院についての説明かな

って思ってましたが

その時に医師からは

摘出した胆嚢は検査の結果 

癌ですでにいろんなところに

転移して手の施しようがなく

今後は緩和治療しかできません

との説明で

この事実に愕然としました。

この時に、今までの経緯やら

いろいろ言おうと思いましたが

愕然と悲しみで

何も言葉が出てきませんでした

このときに医師は

血液の数値とか総合的に判断

すると動いたり話したりできないはずなのに

現実に動いたり話したり

食事を取ろうとしてることが

奇跡で信じられない現象って

不思議がるばかり。

その後、2週間 悲しみをこらえ

看病に行き足のマッサージをして

あげてました。

そして、最後の日の前日に

夕方、父が今日は早めに帰って

いいって言ったので帰宅し

25日に他界しました。

他の病院に行けば良かったのに

父は、17年前に大手術で助けて

もらった病院だからと

そこの病院にこだわり続け

最後まで他には行かなかった。

亡くなってから母が老人内科の医師に

会いに行ったら

自分の判断ミスだったと謝っていたみたい

だけど・・・・・

それと

縁起でもないから

身内には、言わなかったけど

自分は去年の12月に

父が亡くなる予知夢を

3日続けて見ていた。

でも、その時は

背中が少し痛いってぐらいで

体力的には元気そうで仕事もしてたから

なんで、こんなのを見るのか

不思議に思いつつも不安はつねに

感じてたかな。

そう思ってる矢先に1月、自分が入院。

父が入院してからも

予知で見てたことを否定し

縁起でもないから思い出さないようにして

看病に集中し治ると信じてたけど

頑張ったけど

変わらなかった。

父が入院してから病室に入るたびに

黄疸が取れてれば良いなって

思いながら入ってたけど

顔や手足が、ずっと黄色いままだった。

でも、亡くなった日に夢に父が

出てきて 布団から起き上がり

こっちをみて急に黄疸が取れていく

姿をみせてくれた。

夢とはいえ 嬉しかった・・・

亡くなってから

ショックが大きすぎて

夢を見てるんじゃないかって思い

現実を受け入れようとしなかったり

お腹が痛くなったり

動悸も酷く

どこに行っても誰からも

顔色が悪いって言われたり

右足が痺れてきて何日も治らなく

そのうち舌も痺れてきたりと

自分の体にも異変。

知り合いに聞いたら

その症状はパニック症の前兆って

言われました。

自分にとっては生涯初ってぐらいの

衝撃と悲しみだったから

精神的に病んでも

しょうがないのかなって思ってた。

今まで、ここに書かなかったのも

メンバーさん達にも報告しなかったのは

書ける精神状態ではなかったし

メンバーさんは、優しい人たちばかりだし

メンバーじゃなくてもメールくれる

ファンの人達は優しい人たちばかりだから

心配させないように いつもと変わらず

何とか頑張ってデータ配信し

更新も続けてました。

最近、ようやく元気になり

精神病にもなりませんでした☆

パニック症になる寸前に頑張って耐えて

勝ったのかな(^^)

東北地方太平洋沖地震で被災され

身内を亡くした方や

住まい仕事を無くされた方、

それ以外のことで辛い思いをしてる方々

生きるって大変なことだけど

苦しみ悲しみ辛さを

乗り越えて

一緒に頑張りましょう☆

元気になったとはいえ

自分も万全では無いですが

ここに書いたことを

一区切りにして

一歩ずつ前に歩いていきます☆

今日のひとりごとをみてくれる人が

多いみたいなので、残すことにしました

☆(^^)☆